萩 091118〜20 日本の歴史に、良きにつけ悪しきにつけ大きな足跡を残した長州藩最後の砦、萩を訪れてきた。 「あだ守るとりでのかがり影ふけて夏も身にしむ越の山風」 山縣有朋が戊辰戦争時にわが故郷「長岡」を攻めあぐんだ折に陣地で詠んだ歌である。 この歌を思い出しながら今回も回った。 長州藩は関が原の乱で元就以来の蓄財の大部分を失ったが その後密貿易や埋め立てによる新田開発や塩などの殖産事業で莫大な資産を再び蓄えた。 これを原資にしてこれまた密貿易仲間?の薩摩と組んで積年の敵=徳川幕府を倒した。 吉田松陰が育て、影響を及ぼした人材は明治国家の骨組みを作り、以後日本の政治・軍事をリードした。 しかしこの輝かしい?歴史も今回の自民党から民主党への政権交代で一応幕を閉じたようだ。 萩は2度目の訪問だが景気のせいもあろうが昔の賑わいのない、普通の町に戻りつつあるように感じた。 萩城址 黄檗宗東光寺 3代藩主から奇数代の藩主夫妻の墓がある。 権力の偏在を避けるために藩主の墓所が2つに分けられたそうだ。 萩藩の初代藩主と2代から12代の偶数代、合わせて7藩主夫妻の墓は城址に近いにある 萩焼は慶長9年(1604年)に藩主毛利輝元の命によって、 朝鮮人陶工、李勺光(山村家)李敬(坂家)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりとされる。 萩焼茶碗高台だけには「欠け」が付いている、殿様以外の茶碗と区別する為付けたという説があるが 実際は輸送時に掛けた縄がずれない為の工夫が本当らしい。 重要文化財「菊屋家住宅」 松蔭神社・松下村塾・松蔭幽囚の旧宅 桂小五郎(木戸孝允)旧宅 花と実 夜明けと落日 おまけ |