新緑の隠岐の島めぐり 99/05 島根半島の東北40〜80kmの海上に位置し、4つの有人島と大小180余りの小島からなる群島で、島根県に属する。 主要な島は群島最大で淡路島の半分の面積を持つ「島後(どうご)」とそれに次ぐ「島前(どうぜん)」である。 縄文時代は矢じり等に使われた黒曜石の産地であった事から、北陸地方や遠くは大陸までの海上交通路が開かれた。 奈良時代から平安初期にかけては、渤海外交の中継基地として大陸文化の伝来に大きな役割を果たした。 中世以降は遠流の島と定められ,後鳥羽上皇・後醍醐天皇など約3000人に及ぶ貴人、文化人が配流された。 彼らが伝えた都の文化は時空を超え今なお伝統芸能や行事の中に確実に伝承されている。 江戸時代に入ると、北前船の風待港として隆盛を極めることになる。 幕末から明治維新にかけては、松江藩の支配に対し、隠岐維新(隠岐騒動)と呼ばれる島民の蜂起が起こり、一時的に 住民による自治政府が樹立された。 初日 羽田から米子空港まで空路、境港から超高速船「レインボー」乗船80分で隠岐島後:西郷港到着から旅が 始まった。 最初に隠岐国分寺外苑牛突き場で闘牛ショー、隠岐国分寺(平成19年2月25日不慮の火災で本堂消失)を見学した。 廃仏毀釈が特に隠岐では激しかったと司馬遼太郎が書いているが無残な仏像を見て気持ちが悪くなった。 五箇村の水若酢神社、隠岐しゃくなげ園から隠岐総社の玉若酢命神社で樹齢200年という天然記念物の 八百杉をみた。(台風や落雷の被害で哀れな姿になっていた) 島後の観光が終り、再び超高速船レインボーで隠岐・島前、中ノ島の海士港に夕方7時に到着した。 船上から眺めた夕陽が素晴らしかった。 夕食の海鮮料理(カニ・イカ・小振りな二枚貝の鉄板焼、もずくの酢の物)が美味しかった。 早朝から12時間の及ぶ今日の行程、長かったが快晴に恵まれ、料理も美味く、上々の立ち上がりだ。 弐日目 |
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