壱 岐
                                   0403

         対馬國より千里余り、瀚海(カンカイ)と呼ばれる海を渡ると一支國に至る。
         
 大官をヒクといい、副官をヒナモリという。 広さ300里四方あまり。 竹薮や林が多い。 
          
三千戸程度の家があり、田畑の耕作は行われているが、充分でないので南北と交易している。
          
更に千里余り海を渡ると末廬國(現在の東松浦)に至る。(3世紀の史書 魏志倭人伝)

      現在島の人口は33,000人、なだらかな地形で耕地の多い恵まれた島である。
      玄界灘の真ん中に位置し、豊かな漁業資源にも恵まれ、漁業と農業が永く島を支えてきた。
      近年は九州の島では常に上位にランクされる観光の島ともなっている(壱岐交通パンフより)
  午前中、土砂降りだったが観光バスが行程を工夫して、傘をささなくてよい焼酎工場や砲台跡などを
  先に回ってくれた,何事にも無愛想な対馬とは対照的で、気持ちが良かった
  一支國の都だったという「原(ハル)の辻」遺跡は素晴らしかった、もっとゆっくり見たかった
  最後の晩餐は美味しさと同時に料理の説明、食べ方を丁寧に教えてくれたり、翌朝にはそれぞれが
  食べ残した料理を煮たり、焼いたりして出してくれた.
  久しぶりに「行き届いたもてなし」を受けて、気持ちが良かった

  対馬と壱岐は島民同士がお互いの悪口を言い合うと聞いたり、読んだりした
  旅行時そして直後は壱岐の肩を持っていたが今は夫々の良さを懐かしむ気持ちになってきた
  対馬には道路を拡幅しトイレなど観光インフラを整備し、恐らくシャイなだけでスムーズに感情表現
  出来ないだけと思うが荷持搬入の手助けくらいはしてもらいたい
  壱岐にはカネヤ別館での「行き届いたもてなし」の気持ちを失わないでもらいたい

  次回は元寇、ロシア、遺跡などテーマを定めて、じっくりと訪れてみたいものだ

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